種類 | 日本画 | |
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レア度 | ||
買取価格 | 少し高い~高い | |
備考 | – |
「今野忠一」は戦前から戦後にかけて日本画の重鎮として画壇を牽引した人物です。
彼は1915年3月26日に山形県天童市で生まれました。彼が生まれ育った山形県には蔵王や月山といった山岳があり、これらの自然環境は後の彼の作品に影響を与えました。
20歳の時に画家を志して上京し、児玉希望や鄕倉千靱に弟子入りしてその技術を磨いています。
1940年に院展で初めてとなる入選を果たすと1955年と1958年にも日本美術院賞を獲得するなど日本画壇において欠かせない存在となりました。
戦後しばらくするとさらに彼の存在はゆるぎないものになっていきます。
日本美術院における評議員や常務理事を歴任しており、まさに戦後日本画壇の重鎮と呼べる存在になったのです。
日本画壇の重鎮となった後も彼の活動は終わることがなく、1977年には院展に出品した作品で内閣総理大臣賞を受賞しました。
さらには愛知県立芸術大学や東北芸術工科大学では教授と名誉教授を務めあげており、後進の育成にも貢献しました。
これらの功績が国から認められ、2006年には文化勲章を受章しました。
さて、そんな忠一の作品を見ていくと、山岳風景を描いた作品が多く見られます。彼を育んだ蔵王や月山をはじめとして、日本の山々を描き続けました。
また、作風の特徴を一言で述べると「重厚である」と言えるでしょう。
その厚みの秘密は前景から背景に至るまで絵の具を幾重にも重ねて縫っていくことで生まれるもので、様々な色合いの絵の具が生み出す色合いは圧巻の一言です。
こうして生まれる作品には一種の厳かな雰囲気すら漂っているのです。
「今野忠一」が手がけた日本画には1枚につきおよそ3,000円から110,000円前後の買取金額がついています。
『今野忠一』を損せず高額買取してもらう方法とは?
1,骨董品専門業者がおすすめ
日本画はリサイクルショップで買取りを受付けているお店もあります。
しかしリサイクルショップへ高額商品を購入しに来るお客はいないため、買取り金額もかなり低くなります。
高く売るには骨董品専門業者が無難です。
2,高額買取りなら2社以上
日本画の査定額は買取業者によって異なります。
ある業者が5万円だったとしても別の業者では10万円ということが実際によくあります。
そのため高額買取りをするなら2社以上で査定を受けることが重要です。
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