画家種類日本画
レア度
買取価格少し高い~高い
備考

「山元桜月」はある考えから各国の指導者に自らの作品を寄贈した日本画家です。

彼は1889年(明治22年)に滋賀県で生まれました。母の弟(叔父)は京都画壇の重鎮・山元春挙であり、彼によって桜月の才能は見いだされ、弟子入りすることになります。

特に叔父のもとでは実写に力を入れており、彼の能力の礎となるものをここで養っていきました。

そんな英才教育を受けたためか、彼は早いうちからその実力を認められることになります。

まずは1914年の文展で『奔流』という作品を出品、初入選をします。その後も帝展、文展問わず出品を重ねており、連続受賞することもありました。

当時の画号は「春汀」といい、春挙のもとに入門した際にもらったものでした。

叔父であり、師である春挙が亡くなると、自らの画号を「桜月」と変更し、日本画壇とは一定の距離を取るようになりました。

また、この頃から富士山の魅力に取りつかれ、それを題材とした作品を制作するようになります。

1940年には富士山がよく見えるようにと山梨県の山中湖村に移り住み、毎日のように富士山のスケッチに明け暮れました。

彼は富士山について「富士山を見ていたらその姿に魅入られてしまい、誰も戦争を起こそうという気にはならないだろう」という旨の言葉を残しており、平和を実現するために各国の指導者に自らの富士山の絵を寄贈しています。

彼は晩年にインド、アメリカ、ソ連、をはじめとする大国だけでなく、ローマ法王のもとにも作品を寄贈しています。

彼が富士山を描き続けたのは、世界中の平和を願ってのことだったのかもしれません。

「山元桜月」が手がけた日本画には1枚につきおよそ4,000円から70,000円前後の買取金額がついています。

『山元桜月』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,骨董品専門業者がおすすめ

日本画はリサイクルショップで買取りを受付けているお店もあります。

しかしリサイクルショップへ高額商品を購入しに来るお客はいないため、買取り金額もかなり低くなります。

高く売るには骨董品専門業者が無難です。

2,高額買取りなら2社以上

日本画の査定額は買取業者によって異なります。

ある業者が5万円だったとしても別の業者では10万円ということが実際によくあります。

そのため高額買取りをするなら2社以上で査定を受けることが重要です。

下記は、全国どこからでも買取可能な優良業者のみをランキング形式で比較しています。