画家種類日本画
レア度
買取価格高い~非常に高い
備考

「小川芋銭」はその生涯を農業に費やしながら優れた日本画を複数残した人物です。

彼は明治維新の起こった1868年3月11日に牛久藩(現在の茨城県牛久市)で生まれました。もともと彼の家系は武家でしたが、彼が生まれた直後の明治維新により、農業を行うようになりました。

彼の父親の跡を継ぎ農業をやるようになった芋銭でしたが、どうしても農業に身が入らなかったこともあり13歳の時に本多錦吉郎のもとで洋画を学びました。

19歳の時には朝野新聞に就職した彼は、しばらく日本画家としてではなく挿絵作家として活動しました。新聞は多くの人の目に触れる事となるため、結果として彼の知名度を上げるのに貢献したと言われています。

当時から素晴らしい挿絵を描いていたこともあり、横山大観にその才能を見出され、日本画壇にデビューしました。

その時すでに彼は45歳であり、遅咲きの日本画家という事が出来るでしょう。

彼の画号である「芋銭」という名前は自らの作品を売ることで「食料である芋を買うだけの銭になればよい」という彼の願いが込められています。

彼の描いた作品をみていくと、農業に従事する人々をありのままに描いた作品や水辺の生き物にスポットライトを当てた個性的な作品が見られます。

その中でも彼の代名詞とも呼べるのが「河童」でしょう。

河童を描いた作品を数多く残しており、中でも晩年に描かれたものは哲学的な筆遣いが特徴的で、人気が高くなっています。

その才能は絵の方面のみならず俳句の世界でも開花しており、俳人としても活躍しました。当時彼と仕事をともにした新聞記者が「彼は画家だよ」という事実を聞いて大変驚いたというエピソードが残っています。

「小川芋銭」が手がけた日本画には1枚につきおよそ3,000円から150,000円前後の買取金額がついています。

『小川芋銭』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,骨董品専門業者がおすすめ

日本画はリサイクルショップで買取りを受付けているお店もあります。

しかしリサイクルショップへ高額商品を購入しに来るお客はいないため、買取り金額もかなり低くなります。

高く売るには骨董品専門業者が無難です。

2,高額買取りなら2社以上

日本画の査定額は買取業者によって異なります。

ある業者が5万円だったとしても別の業者では10万円ということが実際によくあります。

そのため高額買取りをするなら2社以上で査定を受けることが重要です。

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