種類 | 日本画 | |
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レア度 | ||
買取価格 | 少し高い~高い | |
備考 | – |
「平福百穂(ひらふく・ひゃくすい)」は明治時代から昭和時代に活躍していた日本画家であり、歌人でもあります。
彼は1877年12月28日に秋田県で生まれました。本名を貞蔵といい、父親は画家として活躍していた平福穂庵でした。このように芸術家の父を持つ彼は幼いころから絵に親しむ生活を送っていました。
特に幼少期には地元の豪商が持つ絵画のコレクションを見て育っており、日本画と洋画の折衷絵画(秋田蘭画)を中心に眺めていることが多かったと言われています。
そんな貞蔵が成長していくにつれて絵に関心を持つようになるのは当然のことで、13歳のころから父親に絵を習い始めました。
しかし習い始めて間もないころ、父親が亡くなったことによって彼の運命は大きく変わっていきます。
穂庵の後援者から資金の援助を受けて絵の勉強を本格的に始めた彼は亡き父親を追悼するイベントにおいてその絵の才能を認められ、自ら「百穂」と名乗るようになりました。
平福百穂の作品の特徴は、1932年に描かれた『小松山』に如実に表れています。この作品の中で、彼は小松山のありのままに姿を写実的に描くとともに、その姿を文人画の手法を用いて描いています。
以上のことから、彼は自然主義と古典回帰を両立することに長けた画家であると言えるでしょう。
日本画家として活躍する一方で、アララギ派の歌人として活動していた時期もあり、作品を集めた歌集も発行しています。
「平福百穂」が描いた日本画には1枚につきおよそ3,000円から50,000円前後の金額がついています。
日本画以外には掛け軸の製作にも携わっていたことがあり、そちらは日本画に比べると買取金額はやや控えめになります。
『平福百穂』を損せず高額買取してもらう方法とは?
1,骨董品専門業者がおすすめ
日本画はリサイクルショップで買取りを受付けているお店もあります。
しかしリサイクルショップへ高額商品を購入しに来るお客はいないため、買取り金額もかなり低くなります。
高く売るには骨董品専門業者が無難です。
2,高額買取りなら2社以上
日本画の査定額は買取業者によって異なります。
ある業者が5万円だったとしても別の業者では10万円ということが実際によくあります。
そのため高額買取りをするなら2社以上で査定を受けることが重要です。
下記は、全国どこからでも買取可能な優良業者のみをランキング形式で比較しています。