Nの家族切手
レア度
買取価格額面通り
額面60円
発行年度1981年

この切手は、大正から昭和時代にかけて画家などの芸術家が描いた絵がデザインされたもので、1979年から5年の間に発行されました。

特殊切手の一種で全32種類となります。1枚だけだとそれほど高額にはなりませんが、32枚全部揃っていると買取単価が上がるので、まとめて売るとかなりお得になります。

「Nの家族」という切手は、洋画家の小出楢重(こいでならしげ)が描いた作品で、自身の家族が描かれています。

小出は、1887年生まれで、大正から昭和に活躍した洋画家です。

大阪市南区長堀橋筋一丁目(現在の中央区東心斎橋)に生まれ、実家は金持ちで典型的なお坊ちゃんでしたが、のんきで明るく騒がしい大阪が嫌いで、上京し東京美術学校(現在の東京芸術大学)の西洋画科に入学し、当時の日本の洋画界のドンだった黒田清輝の洋画塾「白馬会」に入会します。

しかし、黒田の影の描き方などにどうしても納得できずに反発し、卒業後は大阪の故郷へ帰ります。

大阪に帰郷した楢重はアトリエを借りてひたすら作品制作に没頭し、文部省の主催する当時の文部省美術展覧会(文展)に出品し続けました。

しかし、結果は芳しくなくことごとく落選します。楢重は文展に応募し続ける中、野田重子と結婚し子供にも恵まれますが、その後も四年連続で落選します。

反発してしまった元師匠である黒田清輝が最終審査員であったのが落選の理由の一つだったのでしょう。

そのようなとき、友人で小説家である広津和郎に仁科展への出品を薦められ、楢重は「Nの家族」を応募し仁科展の新人賞である樗牛賞を初めて受賞します。

その時すでに31歳で遅咲きと言えます。 妻の重子も、生活が貧しく家事や育児に追われる日々に疲れ果てていました。

Nの家族は、そのような先行き不透明な生活苦の中で疲れ果て不機嫌な妻と、煙草を吸いながら陰鬱な面持ちの楢重と、その間に無邪気な様子の一人息子を描いた3人家族をテーマにした作品でした。

まさに当時の楢重の心情を描いていたと言えます。しかし、どん底の状態だった楢重も、この作品で一躍有名になり「東の岸田劉生、西の小出楢重」とまで言われるようになります。

Nの家族には他にも絵の中に16世紀を代表する画家のホルバインの画集が描かれていて、その絵には視点を斜めにすると頭蓋骨が浮かび上がってくるものがあり、Nの家族の中の楢重の顔もまるでどくろのようにやせ細って細長い顔立ちになっていて、そこからはメメント・モリ(死を想え)というようなものを感じ取れます。

病弱である上に先行き不透明な貧乏暮らしの中で、やせ細った楢重は残された時間を必死に突っ走るしかなかったかのようです。

Nの家族の受賞と世間からの評価が高まったことで、楢重は洋画家として自信をつけパリに留学しますが、パリの油絵に芸術を見いだせずに帰国し、日本の油絵をもっと確立しなければ、と考えるようになります。

その後は裸体の絵に芸術性を感じひたすら描き続けますが、1931年に心臓発作のために43歳で死去しました。

Nの家族は、大阪から出ることを夢見たが永久に出られず貧しい生活に追われていた楢重の死の現実と、東京など遥か先を見据えた明るい未来を想像していた空想世界の狭間で揺れ動いている、そんな作品であると思います。

小出の数ある作品の中でも代表作と言われるもので、切手ファンのみならず、近代美術ファンの方も是非「Nの家族」の収集を検討してみてはいかがでしょうか?

切手の買取価格は1枚数十円、20面シートは1,000円程度になります。

額面程度の価値となっているので、なるべく多くの切手と一緒に査定に出すことをおすすめします。

『Nの家族切手』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,切手専門の買取業者で査定をしてもらう

近代美術シリーズ切手はシリーズものなのでコレクターにとっては集めるのが楽しい切手になります。

希少価値が高い種類は多くありませんが、需要が高いのでシリーズが揃っていると切手買取業者ならプラスαを加算してくれることがあります。

一般的な中古買取ショップの場合、販売ルートを持っていないので一律の安い金額で買取りされる可能性があります。

2,損をせずに売るなら2社以上で査定

買取価格は切手買取業者ならどこでも同じというわけではなく、価値のつけ方に違いがあります。

1枚だと少しの金額差でも数十枚、数百枚になると大きな金額差となります。そのため高く売るには2社以上に査定をしてもらうと損をせずに売ることができます。

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