レア度 | ☆ |
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買取価格 | 額面通り |
額面 | 3セント |
発行年度 | 1966年 |
「1966年文化財保護強調週間切手」は中宗根豊見親の墓が意匠になっています。
15世紀の最後の頃~16世紀のはじまりにわたり、豪族の1人に中曽根豊見親はという人物がいました。
この人物は宮古島でも、他の追随を寄せつけないナンバーワンの豪族だったそうです。小児のときには空広(そらびー)という愛称で呼ばれていました。
目黒盛豊見親と中山王府のパワーのある2代権勢が、14世紀以後宮古島を収めていました。
空広という人物は、目黒の5世孫に値する人間です。
「宮古島旧記」という書物によると若いころは、叔父にあたる人物が子を授かることなくこの世から旅立ったので、その叔父の妻の養子となり、義母の下で従順に健やかに成長したそうです。
空広の才能は7歳の時点でしのぶことなく発揮され、とある日に、奴僕(雑用などに用いられる男性)に令していたときに、主である大里大殿がたまたま通りかかりました。
空広はニンニクを1つの束にして、「わたしが最初に身ごしらえた作物を貴男に献上しよう」と言いました。
彼はこのとき7歳であり、大里大殿はこの小児が礼儀を重んじており、言語爽やかにしてさながら大人のような人物であることを知り、「私は今日、変わった子どもに出会った」と喜んだそうです。
空広が17歳になると、大里大殿は家の権利を彼に担わせることにしようと考えました。
その頃はもろみ菊をみつぎ物としていましたが、非の打ち所のない手さばきで采配を行い、とどこおらせずに収納して後、人を待たせずに済ませたそうです。
また、壺を返却するさいには中に入っているものを取り出さず、「遠方より来た人を憐れみ、主人がこれを給うものなり」と譲渡したことで人望を得て、大里大殿が死んだあとに、空広が島の主に適切だとされ後を継ぎました。
その後空広は、中山に行ったきり所在が不明となった手盛の後継として、島の主になるように尚円王に言い渡されました。
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