レア度 | ☆ |
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買取価格 | 額面通り |
額面 | 80円 |
発行年度 | 1998年 |
この切手シリーズは夏目漱石や福沢諭吉など日本を代表する文化人が図柄として取り上げられている切手で、第一次シリーズは戦後すぐの4年間発売されていました。
まず1949年に野口英世が最初に切手化され、その後も内村鑑三、坪内逍遥、森鴎外、正岡子規、新渡戸稲造など有名文化人が次々と切手化され全部で計18種類発行されました。
最初は8円でしたが、新島襄からは10円切手になりました。
第二次シリーズは1992年~2004年にかけて発行され、これもまた関孝和、与謝野晶子、島崎藤村、伊能忠敬、宮沢賢治、川端康成など有名人揃いです。
滝沢馬琴の切手は第二シリーズに含まれ、1998年に発行されました。額面は80円で買い取り価格も同程度の価格となります。発行部数は2,000万枚です。
滝沢馬琴の面白いエピソードとして、若い頃は放蕩息子でどこへ奉公しても長続きせず親からも冷たい目を向けられていて、その後ろめたさから放浪の旅に出たというものがあります。
その放浪の旅路の途中で親が危篤になったときも兄弟が必死に探し回り、馬琴は何とか親の死に目に会えたという逸話もあります。
親の死がきっかけで反省し心を入れ替え、滝沢馬琴は山東京伝という江戸時代後期の劇作家の弟子入りを熱心にお願いし作家を目指すようになります。
しかし、当の山東京伝は弟子を受け付けておらず、弟子入りは拒否されましたが、家の出入りだけは許可されました。
馬琴は弟子入りこそ断られましたが、家に出入りしながら山東京伝と親しい関係になれ、師匠の出版した書物を読むことが許可されたそうです。
25歳のときに馬琴ははじめて自身の本を出版します。しかし、本といってもふきだしのある今でいう絵本のようなものだったそうです。
そのような中、京伝の書いた本が幕府を痛烈に批判しているとして師匠は謹慎処分になってしまいます。
その後、師匠を失った馬琴はしばらく作家業をやめ、履物商の未亡人に婿入りします。
婿入りしたといっても実際は商売の手伝いはほとんどせず、理解のある奥さんのおかげで徐々に執筆業を開始します。
そして旅行記や小説を次々と発表し、心の師匠であった京伝が亡くなった後は、滝沢馬琴こそがベストセラー作家だといわれる時代となっていきます。
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文化人切手はシリーズものなのでコレクターにとっては集めるのが楽しい切手になります。
希少価値が高い種類は多くありませんが、需要が高いのでシリーズが揃っていると切手買取業者ならプラスαを加算してくれることがあります。
一般的な中古買取ショップの場合、販売ルートを持っていないので一律の安い金額で買取りされる可能性があります。
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