レア度 | ☆☆ |
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買取価格 | 少し高い |
額面 | 8円 |
発行年度 | 1951年 |
森鴎外 切手は1枚で概ね500円から1000円程度の価値があります。文化人切手の中では、希少性が高く、高額で売買されることも少なくはありません。
切手1枚で手に入ることはよくありますが、シートで手に入れられる可能性は低いです。
1951年の7月9日に刷られました。
森鴎外は現在の島根県で生まれ、律令制度によって定められた、典医という機関で医師や薬の調合を担っていた家系に生まれたことから跡継ぎとして育てられました。
小児より論語、オランダ語を習得し、9歳の頃には当時の15歳と同じくらいの学力を持っていたことより、非常に優秀な人物で、家族には将来がとても期待されていました。
廃藩置県を機に10歳で父親と上京し、墨田区に居住を移します。官立学校に入学するため、ドイツ語を習得すべ、進文学者に入塾。次の年には父の病院がある千住に拠点を移します。
1873年に現在の東京大学の医学部を年齢を詐称して12歳という若さで入ります。漢方に対する見聞を深めたり、本の虫になったり、和歌を拵えたりして過ごしました。
大学を卒業してからは、父の病院を手伝いつつも進路に迷っていました。それを同期の小池正直は陸軍の医療班として雇うように陸軍軍医の本部次長に頼んで、東京の陸軍病院に勤めるようになりました。
それからドイツに留学し、さまざまな経験をしたあと読売新聞にて小説論を発表します。
森は最初、外国文学の翻訳をしてから、舞姫やうたかたの記を積極的に発表しました。しかし、舞姫はドイツの恋愛模様を書いており、あまりに日本人の恋愛観と差があったため読者を混乱させました。
日清戦争が終結すると、台湾の軍医として1番上の階位につき、それから暫くしてスバルという雑誌に毎回寄敲して、意欲的に創作に励みました。
その後もさまざまな小説を発表し、1922年、7月9日に帰らぬ人となりました。
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