レア度 | ☆ |
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買取価格 | 額面通り~少し高い |
額面 | 8円 |
発行年度 | 1951年 |
全18枚ある文化人切手の12枚目に刷られた切手です。概ね300円という値段で取引されます。
1951年の9月21日に刷られました。基本的に手に入れることが容易な切手ですが、シートの状態で保存されているのは希少性が高く、高値で取引されます。
意匠となった人物は、日本の画家の中で作品が1番多く重要文化財に定められており、日本で1,2を争うほど人気です。
生まれたのは長野県で、1890年に現在の東京藝術大学に入ります。橋本雅邦を師事しており、当時学校の学長を担っていた岡倉天心に強く影響されていました。
しかし、1898年に岡倉は岡倉の反対派により辞任。そのときに菱田も大学を退学し、美術団体の日本美術院を創ることに取り組みました。
1903年になると、横山大観と一緒にインドへ渡りました。翌年には岡倉天心、大観と一緒にアメリカへと行き、ヨーロッパにも行って1905年に帰国しました。
1906年から現在の茨城県茨木市で大観たちとともに作品をつくりはじめます。ですが、春草は網膜炎を治すため、1908年には東京へ行き、代々木に居住することになりました。
彼の代表作である「落葉」は、昔はまだ郊外であった代々木近くの雑木林をモチーフとしています。
画業としての功績として、古来より日本画に欠かせない輪郭線を描かずに絵を描く、無線描法という描き方を試みをしました。
この試みは、世間より非難を轟轟とあび、朦朧体(もうろうたい)という名で馬鹿にされました。
1907年に文展に作品を出品しても、無線描法を用いていたことから、審査の対象にはなりませんでした。
革命と言っても過言ではない画風は、彼が死去してから評価され、大観は自分の絵より「春草のほうがずっと上手い」と言わしめたほどです。
それから、「春草が生きていれば、自分の絵は10年以上進んだ」とも言っています。
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文化人切手はシリーズものなのでコレクターにとっては集めるのが楽しい切手になります。
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