映画監督青春の地(小津安二郎生誕100年)切手
レア度
買取価格額面通り
額面80円
発行年度2003年

ふるさと切手は、竹下内閣が掲げた「ふるさと創生政策」という地方活性化のための政策の一環で1989年4月に発行された地方限定販売の切手です。

そのため当初は地方切手と呼ばれていたものの、切手コレクターの間で徐々にふるさと切手と親しみを込めて呼ばれるようになり、1990年4月に名称が正式に変更されました。

ふるさと切手の絵のテーマは地方名物や風物などの他に地方特有の行事なども扱っていて、そのデザインもあえて地元の画家やイラストレーターなどが担当しているため、地方によってつくられているイメージが強いです。

他の切手(普通切手、記念切手、特殊切手など)とは違い、ふるさと切手はその地元のみでの販売でした。

しかし、切手ファンの間で「地元にわざわざ行かなくてもどこでも気軽に購入したい。」との要望があったため、今では全国の様々な郵便局で取り扱われています。

また、地元発祥の切手ではありますが、他の切手と同じように全国どこでも使用可能です。

ふるさと切手の中でも「映画監督青春の地(小津安二郎100年)」が2003年10月23日に発行されました。

世界的に有名な映画監督の小津安二郎は1903年生まれのため生誕100周年記念ということで発行されたという理由もあります。

また、小津は1913年当時に父親の地元である三重県松坂市で映画と出会い、映画監督を目指すきっかけになったということもあり、三重県から発行されました。

切手は三重県松坂市にある小津安二郎の記念館である、「小津安二郎青春館」を背景に、小津安二郎本人とミッチェル撮影機がデザインされています。

小津安二郎は1903年生まれで、先述のように小学生の頃に父親の故郷・三重県松坂市に住んでいました。

地元でトーマス・H・インス監督によるハリウッド映画「シヴィリゼーション」を見たことに感銘を受け、映画監督の道を志すようになったそうです。

三重県伊勢市の宇治山田中学校を卒業後、飯高町の尋常小学校で1年間代用教員を務めるも退職し東京へ帰京します。

その後、松竹キネマ蒲田撮影所に撮影アシスタントとして入社し、演出部などを経て1927年に早くも「懺悔の刃」という時代劇で念願の監督デビューを果たします。

その後順調に作品を発表するも、1943年に軍報道部映画斑として戦地へ赴き、そこで多くのハリウッド映画を見て多大なる影響を受けます。シンガポールで終戦を迎え1年間捕虜生活を送った後に帰国します。

戦後は、脚本家の野田高梧とタッグを組み「晩春」「麦秋」「東京物語」といった名作を次々と発表していき、サザーランド賞を受賞した東京物語で世界的にも評価を得ました。

サザーランド賞は英国映画協会が設立した賞で、その年に最も独創性や創造性に富んだ映画監督に贈られる名誉ある賞です。

「東京物語」は年老いた老人夫婦が子供を訪ねて上京し、家族の絆や老いと死などを描いた作品で興行的にも成功し国内外で高い評価を得ています。

切手の買取価格は10枚シートで800円前後になっています。

『映画監督青春の地(小津安二郎生誕100年)切手』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,切手専門の買取業者が有利

ふるさと切手は様々な種類があり図案の面白さからコレクターから人気があります。高額買取りになる種類は少ないですが、需要が高いのが特徴です。

もし金券ショップや総合買取店で売ると一律の低価格となるためメリットはありません。切手専門の買取業者なら販売ルートを持っているのでプラスαの価値が期待できます。

2,1社だけの査定はもったいない

切手の枚数が多いほど査定額の差は大きくなります。そのため査定に出すのが1社だけではもったいないのです。

ある切手買取業者で金額が安くても、別の業者ではプレミアム切手を見つけてくれて数倍以上になる可能性もあります。そのため2社以上に出すことがおすすめです。

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