明治天皇銀婚記念切手
レア度☆☆☆
買取価格高い
額面2銭 5銭
発行年度1894年

東京千代田区にある皇居はかつての江戸城、江戸城の別名が千代田城であったため千代田区の区名の由来となりました。

江戸城と聞くと江戸時代に徳川家康によって築城されたと思われがちですが、もともとは室町時代後期の武将である太田道灌が築城、1590年に豊臣秀吉が小田原征伐をしたため江戸城を開城、手柄として家康に与えられたのが現在の関東地方でした。

家康が入城した時の江戸城は荒廃が進んでいたため、江戸幕府が始まった1603年から諸大名に命じて作り直しました。

しかし江戸の市街地の大半を焼失させた1657年の大火事(明暦の大火)で天守を含めた多くを焼失、町の復興を優先させたため、城のシンボルでもある天守(天守閣)は以降再建されませんでした。

江戸時代は大政奉還の1868年まで続きましたが、江戸城が明治新政府軍に明け渡された時には既に天守はなく、後に皇居として使用していた西ノ丸御殿は明治6年に焼失。

また大正12年の関東大震災や昭和20年の空襲で建造物は大きな被害を受けました。そのため、現在の皇居には、お城を思わせるものは限定的にしか残っていません。

時代が変わると足利氏や徳川氏が征夷大将軍を務めましたが、征夷大将軍はあくまで朝廷から政治を任されただけ、日本を長年治めていたのは天皇をトップとする朝廷でした。そのため、大政奉還によって、政権は天皇に返上されました。

江戸を東京と改めるなど新しい日本へ移行したのが、明治天皇が即位したことで始まる明治時代です。

明治天皇は第122代天皇、平安時代前期の宇多天皇(第59代天皇)以降、従来の天皇は外国人に直に面会することはありませんでした。

しかし明治天皇は日英同盟を締結するなど華々しい面もある反面、日常生活は質素に暮らし、慈善事業の発展や国産の奨励等に熱心だった皇后と共に、国民から畏敬の念を抱かれていました。

明治27年に明治天皇と皇后の結婚25周年の祝典を記念して発行されたのが「明治天皇銀婚記念切手」です。

郵便切手を初めて開始したのは1840年のイギリス、日本で最初に発行された切手は、龍がデザインされた1871年(明治4年)の竜文切手、竜文切手は製造期間が極めて短く貴重です。

1894年に発行された明治天皇銀婚記念切手は日本で最初の記念切手、2銭と5銭の2種類があり、5銭切手は2銭と比べて発行数が少なく、状態で異なりますが2銭は3,000円程、5銭は5,000円程で取引きされています。

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