放送25年周年記念切手
レア度
買取価格少し高い
額面8円
発行年度1925年

放送25年周年の記念切手は、日本で1925年3月22日にラジオ放送の開始から25年たったことを記念して発行されました。この日は放送記念日でもあります。

発行日は1950年3月22日で、額面は8円の1種類のみでした。当時ははがきが2円、封書が8円だったので、この記念切手は封書用として発行されたということになります。

初めての日本の放送は、NHK東京放送局の前身である東京放送局の管轄のもと、東京高等工芸学校の図書館に仮スタジオが設けられ、芝浦の仮放送所から発信されたものでした。

ただし、電波が弱かったため、当時の東京市内でないとよく聞こえない品質でした。一方で、大阪放送局は同年6月1日に仮放送を開始しています。

ちなみに、本放送は1925年7月12日に現在の東京都港区にあたる愛宕山で始まり、その直後の7月15日には、NHK名古屋放送局の前身である名古屋放送局でも本放送が始まりました。

ラジオ開始時の視聴者数は5,500人で、当時は届け出と1台あたり1か月1円の聴料が必要だったため、利益を上げることができたのは現代と違うところです。

当時のラジオは、探り式鉱石受信機と呼ばれるもので、鉱石の表面に針を当てて、自分で受信感度のよいところを探す必要がありました。

その後、東京・大阪・名古屋放送局は1926年に日本放送協会として統合されました。

このころラジオ自体にも大きな改革があり、真空管を使った電気電子回路のものとなりました。

この改革により、大きな音の放送が聞けるようになります。しかし、まだラジオは高価なもので、なおかつ電池式だったため、それほど視聴者数は伸びませんでした。

やがてラジオ受信機の普及が進むと、音楽・演芸・スポーツ中継・ラジオドラマなどの多種多様な番組が放送されるようになり、一般市民の娯楽としてラジオ番組は欠かせないものになっていきました。

しかし、1941年の太平洋戦争開戦から終戦までは、戦争関連の情報を放送することが多くなりました。終戦後には社団法人日本放送協会はGHQの管理下に置かれ、言論統制が行われました。

切手の図柄には、マイクとコールサインが採用されています。

当時他に発行されていた切手としては、文化人シリーズとして、福沢諭吉、夏目漱石、坪内逍遥、市川団十郎、新島襄が発行されたほか、郵政記念日制定記念切手、第5回国民体育大会記念切手などがあります。

ちなみに、市川団十郎についてはバラ切手単品で1,400円程度、第5回国民体育大会記念切手は4枚組で3万円以上の値が付きます。

放送25年周年記念の切手は、この時代の他の切手と大差なく1枚100~300円で取引されています。
ただし、シートであれば数千円の価値が望めます。

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