画家種類日本画
レア度
買取価格高い~非常に高い
備考

「片岡球子」は昭和後期~平成時代中期にかけて活躍した日本画家です。

彼女は1905年に北海道札幌市で生まれました。21歳の時に現在の女子美術大学を卒業し、横浜市で小学校の教諭を務めながら創作活動にいそしみました。

家族は彼女が画家になることに対して反対しており、これが原因で勘当されてしまっています。

味方のいない逆境の中で作品を製作し、日展に出品するも3回落選してしまいました。

そんな中、第17回院展で『枇杷』という作品で初めての入選を果たしますが、その後も落選を続け、「落選の神様」というマイナスの愛称をつけられてしまうこともありました。

転機が訪れたのは1939年の院展で入選を果たした時です。この時を境に彼女は毎年入選するようになりました。

1955年には本格的に絵の研究を進めるために勤務していた学校を退職し、自らの母校である女子美術大学日本画科の専任講師となりました。

そんな片岡球子が描き出す作品の最大の特徴は型破りな全体の構成と、色彩にあると言えます。

それまでの人々から見たら考えもしない構図や色合いで描き出されるため、一部の人間からは「彼女の作品はゲテモノである。」とまで言われていました。

しかし同じ日本画家の小林古径に「確かに作品はゲテモノであるが、ゲテモノと本物の作品は紙一重のものである。だから今の作風を変えてはならない。」

というアドバイスをもらったことにより自らの作風に自信をもって己の感性のままに作品を生み出していきました。

自らの作品が認められないという我慢の時を経て、彼女の作品は世の中にだんだん受け入れられるようになったのです。

「片岡球子」が手がけた日本画には1枚につきおよそ10,000円から200,000円程度の買取金額がついています。富士山の作品なら価値が高く500万円以上になります。

『片岡球子』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,骨董品専門業者がおすすめ

日本画はリサイクルショップで買取りを受付けているお店もあります。

しかしリサイクルショップへ高額商品を購入しに来るお客はいないため、買取り金額もかなり低くなります。

高く売るには骨董品専門業者が無難です。

2,高額買取りなら2社以上

日本画の査定額は買取業者によって異なります。

ある業者が5万円だったとしても別の業者では10万円ということが実際によくあります。

そのため高額買取りをするなら2社以上で査定を受けることが重要です。

下記は、全国どこからでも買取可能な優良業者のみをランキング形式で比較しています。