画家種類洋画
レア度
買取価格高い~非常に高い
備考

国吉康雄(くによしやすお)は、二十世紀前半に活躍した日本人画家です。ただ、早くから渡米し画力に磨きをかけていたため、アメリカ流作家として有名です。

1889年に岡山県で生まれた国吉は、日本の学校に学びますが、1906年には渡米します。

この行動の背景には、新天地を求めた日本人による渡米ブームがありましたが、時の米国政府は移民規制を強化、国吉は厳しい立場に置かれます。

米国人になるという希望を事実的に絶たれた状態で労働に励む国吉は、1916年にはアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークに入学します。

そこで当時のアメリカの最先端とも言うべきモダニズムの作風に触れ、国吉一流の作風を完成させていきます。

東洋的な風情をどこかに感じさせながら、斬新なアメリカ的ニュアンスを感じさせるデフォルメや色調は、当時磨かれたものだと言えます。

また、日常のそばにある非日常とも言える「サーカス」を、彼は頻繁に題材として傑作を描いていきました。

着実な仕事ぶりと独創的な世界が認められ、1925年にパリに渡った彼は、さらに新たな世界を描き始めます。

ヨーロッパ風の堅実かつ完成された写実的手法や艶っぽさを取り入れ、より作風に深みと幅を持たせたのです。

こうして評判を得た国吉は日本に一時帰国しますが、作品はなかなか売れず、また保守的、権威的な風土とも馴染めませんでした。

このため国吉はアメリカに身を置き続けることを決意し、離婚、再婚を経てさらに画業に邁進していきます。

アメリカ流の先鋭感と伝統の蓄積を併せ持つ彼の作品はいよいよ充実していきましたが、日米間の太平洋戦争という難題にも直面しました。

そこで国吉は日本流の軍国主義を批判し、あえて戦意高揚のために筆を取ることで、立場を明確にしました。

ほとんどの日本人画家がちゅうちょなく戦争に協力していったのと、まったく反対の立場を取った国吉は異色の存在と言えました。

とは言え国吉の持つ正義心は盲目的なものではなく、両陣営への怒りと悲しみを描く傑作「誰かが私のポスターを破った」を描いたりしています。

戦後はアメリカ中で反共産主義が高まる中美術家の組合を結成するなど、後の美術界に貢献する、勇気ある行動も取りました。

戦前の日本社会では結局、理解されにくかった国吉ですが、今日では国内的にも非常に高い人気を誇ります。

買取価格としては、素描に近い簡素な作品でも20,000円以上、一品ものであれば300,000万円前後といった、高い値を見込むことができます。

『国吉康雄』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,買取実績のある専門業者に申し込む

洋画など絵画はリサイクルショップでの買取りも可能です。

しかしリサイクルショップでは正確な鑑定はできず、数百円や1,000円程度の買取りになることがほとんどです。

骨董品を専門としている業者へ売る方が高く売れるのです。

2,査定は2社以上がおすすめ

骨董品専門業者であっても、査定には価格差が発生します。

業者によって高額買取りになる商品が異なるため、場合によっては数万円も金額が変わってきます。

そのため、2社以上で査定を受けることが高額買取りのポイントになります。

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