古金銀イメージ

このページでは古金銀を発行順に掲載し、それぞれの価値をご紹介しています。

古金銀とは、江戸時代から明治初期まで流通していた小判以外の金貨・銀貨になります。ほとんどが角型の形状になっていることが特徴です。

現在のお金に換算すると、種類にもよりますが1つで数万円の価値がある高額貨幣でした。

例えば一分判金だと小判1両の1/4の価値(現在の貨幣価値でだいたい2万円程度)になります。一般庶民が日常生活で使うお金というよりは、主に商売や高額支払いの際に使用されていたそうです。

金や銀が主要原料であるため、買取価格が高い種類が豊富に揃っていることが特徴です。

また刻まれたわずかの書体の違いによって買取価格が数十倍も高くなることがあり、調べてみるのが面白い貨幣でもあります。

古金銀の一覧

お売りになりたい古金銀の買取価格を簡単に調べることができます。
※表示の買取価格は並~美品ランクを想定した金額です。状態により価格は大きく変動します。
※各項目をクリックすると下に移動するようなっています。

分金・朱金

【慶長一分判金】の買取価格と相場
慶長一分判金 <鋳造年>1601年~1695年(慶長6年~元禄8年)
<重さ>4.43g
<金含有率>86.8%
徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利した翌1601年、江戸で大判・小判・一分判金の3種の流通向け金貨を発行します。慶長一分判金は非常に金品位が高く最も高額買取りできる古銭の一つです。11種類に分類され、買取価格は50,000円~500,000円になります。「古鋳前期」「片本」は20万円、「両本」は50万円など高額になる種類があります。どの古金銀にも言えることですが裏表が上下逆さまの「逆打ち」だと高額買取りになります。

【元禄一分判金】の買取価格と相場
元禄一分判金 <鋳造年>1695年~1710年(元禄8年~宝永7年)
<重さ>4.46g
<金含有率>57.4%
荻原重秀により江戸幕府初の改鋳が行われ、金品位が下げられました。これにより幕府は500万両も出目を得たと言われます。買取価格は70,000円~150,000円になります。「元」の書体によって「長元」と「短元」の2種類があり、「短元」の方が価値が高くなります。

【元禄二朱判金】の買取価格と相場
元禄二朱判金 <鋳造年>1697年~1710年(元禄10年~宝永7年)
<重さ>2.23g
<金含有率>56.41%
二分判金の半分の価値貨幣として登場した二朱判金です。補助貨幣という形式ですが金品位が高く、それまでなかった貨幣単位で重宝されました。買取価格は150,000円~200,000円になります。現存数が少ないため高額買取りになっています。

【宝永一分判金】の買取価格と相場
宝永一分判金 <鋳造年>1710年~1714年(宝永7年~正徳4年)
<重さ>2.33g
<金含有率>83.40%
元禄一分判金より金品位を戻していますが、量目を半分にして小型化された名目貨幣となっています。買取価格は50,000円~100,000円になります。出目をあげることで財源確保ができましたが、物価の高騰が進みました。

【正徳一分判金】の買取価格と相場
正徳一分判金 <鋳造年>1714年(正徳4年)
<重さ>4.43g
<金含有率>85.69%
新井白石はインフレ対策として慶長時代と同じ優良な品位に戻すことを提案、量目を戻し高品位な正徳一分判金を発行しました。鋳造期間は4ヶ月間のため価値が上がっていて、買取価格は500,000円前後と高額になります。

【享保一分判金】の買取価格と相場
享保一分判金 <鋳造年>1716年~1736年(享保元年~元文元年)
<重さ>4.40g
<金含有率>86.1%
引き続き高品位で鋳造された一分判金になります。見た目は正徳一分判金と似ています。買取価格は30,000円~50,000円になります。しかし急な高品位政策の結果、デフレが発生し経済の循環が悪くなりました。

【甲州一分金】の買取価格と相場
甲州一分金 <鋳造年>1721~1724年(享保6年~9年)
<重さ>3.61g
<金含有率>
甲斐国(甲州)では永正3年(1506年)から金貨が鋳造され(古甲金)、戦国時代、そして江戸時代になっても甲州金を認めて(新甲金)鋳造が継続されていました。買取価格は50,000円前後になります。ただ背面の刻印で価値が変わります。「背忠」は7万円前後、「中安」は10万円前後、「下安」は15万円前後になります。

【元文一分判金】の買取価格と相場
元文一分判金 <鋳造年>1736年~1818年(元文元年~文政元年)
<重さ>3.25g
<金含有率>65.3%
正徳・享保期にデフレが発生したため、金品位を下げた一分判金になります。この品位が適度なインフレを生み出し、これ以降はしばらく経済が安定しました。買取価格は10,000円前後になります。鋳造は80年も続いたため、価値は低くなっています。小判とともに裏面に「文」と刻印されています。

【文政二分判金(真文二分半)】の買取価格と相場
文政二分判金(真文二分半) <鋳造年>1818~1828年(文政元年~文政11年)
<重さ>6.52g
<金含有率>56.3%
江戸時代で初めての二分判金になります。11代将軍徳川家斉の代に財政難となったため改鋳が実施され金品位を下げました。買取価格は50,000円前後になります。刻まれた「文」の書体が真書(楷書)であることが特徴です。もう一つの草文二分半より発行枚数が多いにもかかわらず、初めての二分判金なので価値が上がっています。

【文政一分判金】の買取価格と相場
文政一分判金 <鋳造年>1819年~1829年(文政2年~文政11年)
<重さ>3.27g
<金含有率>56.4%
二分判金に続いて発行された一分判金も元文期より金品位を下げてあります。買取価格は数千円~15,000円になります。「文」の字が草書体であるため草文一分判金とも呼ばれます。

【文政一朱金】の買取価格と相場
文政一朱判 <鋳造年>1824~1832年(文政7年~天保3年)
<重さ>1.42g
<金含有率>12.3%
続いて初めての一朱金を発行しました。しかし粗悪な金品位で事実上は銀貨に近い価値でした。1cm角の正方形のため角一朱金とも呼ばれます。買取価格は美品で20,000円~30,000円になります。低品位のため時間経過とともに銀色に変色して不評でしたが、鋳造数が少なく貴重なため高額買取りになっています。

【文政二分判金(草文二分半)】の買取価格と相場
文政二分判金(草文二分半) <鋳造年>1828~1832年(文政11年~天保3年)
<重さ>6.56g
<金含有率>49.0%
文政二分判金(真文二分半)を改鋳した二分判金で、金品位を下げてあります。幕府はこの文政の改鋳で巨額の収益を得ました。価値は文政二分判金(真文二分半)よりやや低く買取価格は40,000円前後になります。刻まれた「文」の書体がくずし字の草書であることが特徴です。

【天保二朱判金】の買取価格と相場
天保二朱判金 <鋳造年>1832年~1866年(天保3年~慶応2年)
<重さ>1.64g
<金含有率>29.88%
鋳造期間が長く、また大量発行された二朱判金です。金品位は文政期とほぼ同等になっています。買取価格は2,000円前後になります。100年前の元禄二朱判金と比較すると半分程度の金量になっています。

【天保一分判金】の買取価格と相場
天保一分判金 <鋳造年>1837年~1858年(天保8年~安政5年)
<重さ>2.80g
<金含有率>56.8%
天保の大飢饉が起き、幕府は財政が苦しくなりました。そこで文政一分判金より量目を減らした一分判金になります。これにより財政収支を回復しました。買取価格は10,000円~20,000円になります。この時期は鋳造技術が向上し、刻まれた文字の細部まで美しく、非常に見栄えのよい一分判金です。

【安政二分判金】の買取価格と相場
安政二分判金 <鋳造年>1856年~1860年(安政3年~万延元年)
<重さ>5.62g
<金含有率>20.9%
1853年(嘉永6年)、ペリーが浦賀に来航し開国要求をします。開国前に発行されたこの安政二分判金はサイズの割に金品位を大幅に下げています。買取価格は数千円~12,000円前後になります。それまで流通していた天保二朱銀や天保一分銀の半数はこのとき回収されています。

【安政一分判金】の買取価格と相場
安政一分判金 <鋳造年>1859年(安政6年)
<重さ>2.24g
<金含有率>57.0%
1858年(安政5年)、日本は開国に踏み切り安政条約によって外貨との交換に応じることになります。しかし日本の金は相対的に安かったため、安政小判や以前の金貨が大量に海外へ流出しました。書体には【ハネ】【トメ】の2種類があり、買取価格は【ハネ】が150,000円前後、【トメ】はさらに高くなります。単年発行のため価値が高くなっています。

【万延一分判金】の買取価格と相場
万延一分判金 <鋳造年>1860年~1867年(万延元年~慶応3年)
<重さ>0.82g
<金含有率>57.4%
海外への金流出を防ぐため、量目を1/3に減らした一分判金になります。この万延期の改鋳により海外の金と同等の価値となり、流出を防ぐことができました。買取価格は30,000円~50,000円前後になります。「分」字の書体によりハネ分とトメ分があり、トメ分の場合10万円前後に上がることがあります。以降の判金は、金品位が再び戻ることはありませんでした。

【万延二分判金】の買取価格と相場
万延二分判(止め分称明治二分金) <鋳造年>1860年~(万延元年~明治初期)
<重さ>2.96g
<金含有率>22.9%
幕末から明治にかけて大量に鋳造された二分判金です。金流出を防ぐため量目を減らしてあります。買取価格は20,000円~30,000円になります。桐刻印の種類によって安政期か明治期の鋳造が判断できます。また「分」の字の2画目が「ハネ分」になっています。ここが「トメ分」だと次の明治二分判金と判断できます。

【万延二朱判金】の買取価格と相場
万延二朱判金 <鋳造年>1860年~1869年(万延元年~明治2年)
<重さ>0.75g
<金含有率>22.93%
同じく金流出を防ぐため量目を減らした二朱判金になります。縦横1cm程度のサイズになっています。買取価格は1,000円~3,000円になります。開港後はこのような価値の低い貨幣を発行したことで物価が急激に高騰し、打ちこわしや一揆が急増しました。

【明治二分判金】の買取価格と相場
明治二分判金 <鋳造年>1868年~1869年(明治元年~明治2年)
<重さ>3.00g
<金含有率>22.3%
明治新政府が設立した後、丁銀・豆板銀を廃止しますが多くの貨幣が引き続き通用されます。明治元年、造幣局の開局までの間に二分判金が発行されました。買取価格は3,000円~8,000円程度になります。珍しい「逆打」の場合は30,000円~60,000円ほどになっています。

分銀・朱銀

【五匁銀】の買取価格と相場
五匁銀 <鋳造年>1765年(明和2年)
<重さ>18.74g
<銀含有率>46%
田沼意次による改革で、重さによる価値ではなく計数貨幣(額面が決められた貨幣)としての五匁銀(ごもんめぎん)が発行されました。12個で小判1枚と交換できます。買取価格は50,000円~120,000円になります。しかしこの交換比率では両替商にはメリットがなく、3年後に回収されてしまいました。

【明和南鐐二朱銀】の買取価格と相場
明和南鐐二朱銀 <鋳造年>1772~1824年(明和9年~文政7年)
<重さ>10.19g
<銀含有率>97.8%
田沼意次は五匁銀の次に南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)を発行させました。8枚個で小判1両と交換ができます。純度の高さをアピールして多量に鋳造させ、銀貨も計数貨幣として定着させました。買取価格は10,000円前後になります。大陸で製造された偽物が多く出回っているので詳しい鑑定が必要になります。

【寛政南鐐二朱銀】の買取価格と相場
寛政南鐐二朱銀 <鋳造年>1800年(寛政12年)
<重さ>10.19g
<銀含有率>97.8%
明和南鐐二朱銀以降、幕府は丁銀へ改鋳しますが、再び財政悪化が起こり、また南鐐二朱銀へ戻りました。買取価格は10,000円~25,000円になります。明和南鐐二朱銀とともに古南鐐二朱銀と呼ばれています。

【文政南鐐二朱銀】の買取価格と相場
文政南鐐二朱銀 <鋳造年>1824年(文政7年)~1829年(文政12年)
<重さ>7.49g
<銀含有率>97.96%
明和南鐐二朱銀と同じ形状と品位ですが、量目を下げて小型化されています。新南鐐二朱銀とも呼ばれます。買取価格は5,000円~10,000円前後になります。

【文政南鐐一朱銀】の買取価格と相場
文政南鐐一朱銀 <鋳造年>1829年~(文政12年~)
<重さ>2.62g
<銀含有率>98.95%
最初の一朱銀になります。金1両の1/16の価値になります。量目は二朱銀の半分より下げられています。幕府はこの文政の改鋳で巨額の収益を得ました。買取価格は2,000円~5,000円になります。銀含有率が100%に近い完成度であったため、一朱銀3種類の中では最も価値が高くなっています。

【天保一分銀(古一分銀)】の買取価格と相場
天保一分銀(古一分銀) <鋳造年>1837~1854年(天保8年~安政元年)
<重さ>8.66g
<銀含有率>99.1%
最初の一分銀になります。古一分銀とも呼ばれ主流貨幣となりました。買取価格は1,000円~5,000円になります。ただ刻印の「座」の柱が長いものや「分」にハネがあるタイプは50,000円以上で買取りできます。この一分銀は名目貨幣であり、含まれる銀は8.66gしかなかったため、それを利用した外交官ハリスに「同種同量」の条項を決められ、金が大量に流出するきっかけとなりました。

【嘉永一朱銀】の買取価格と相場
嘉永一朱銀 <鋳造年>1853年(嘉永6年)
<重さ>1.87g
<銀含有率>98.71%
この年ペリーが浦賀に来航し開国を要求します。幕府は開国に先立ち一朱銀を鋳造、翌年に発行します。お台場に築いた砲台工事の給料に使われたため、お台場銀とも呼ばれます。買取価格は1,000円~2,000円になります。わずかな書体の違いで35種類に分かれています。三ツ跳という種類であれば3,000円程度になるでしょう。

【安政一朱銀】の買取価格と相場
安政一朱銀 <鋳造年>1853年(嘉永6年)
<重さ>1.87g
<銀含有率>98.71%
嘉永一朱銀と同タイプの一朱銀です。ただ書体が安政一分銀系統であるため「安政」の名称がつけられています。買取価格は1,000円~2,000円になります。裏と表の書体の組み合わせは63種類もあります。書体の分類が多いため買取価格が高くなる種類もあります。

【安政二朱銀】の買取価格と相場
安政二朱銀 <鋳造年>1859年(安政6年)
<重さ>13.62g
<銀含有率>84.5%
開港直前に洋銀との交換用として品位を下げて作られた二朱銀になります。結果的に外国の反発を受け22日で通用停止となりました。大きなサイズなのに価値が一分銀の半分しかなかったため馬鹿二朱と呼ばれていました。買取価格は数万円~150,000円になります。残っている数が非常に少ないことから高額プレミア古銭となっています。

【安政一分銀(新一分銀)】の買取価格と相場
安政一分銀(新一分銀) <鋳造年>1859年~1868年(安政6年~明治元年)
<重さ>8.63g
<銀含有率>87.3%
米公使ハリスの提案を受け洋銀と同品位に作られた一分銀になります。買取価格は2,000円程度になります。ただ種別が多く、高額買取りになるものもあります。「土」の第二画が長い中柱座や「一」に筆の玉ができた玉一という種類であれば買取価格は30,000円~50,000円程度、また縁に刻まれた桜が逆桜のタイプも数万円になります。

【改三分定銀】の買取価格と相場
改三分定銀 <鋳造年>1860年(安政6年)
<重さ>26.8g
<銀含有率>約87%
メキシコの8リアル銀貨に刻印した洋銀になります。一分銀の交換を中止する代わりにハリスから洋銀の流通を要求され発行に至りました。買取価格は100,000円~700,000円程度になります。高額買取りとなる理由は、この改三分定銀は国内では評価されず半年ほどで中止されたためです。種類により差が大きいので詳しい鑑定が必要です。

【秋田九匁二分銀判】の買取価格と相場
秋田九匁二分銀判 <鋳造年>1863年(文久3年)
<重さ>34.54g
<銀含有率>97%
九匁二分、四匁六分、一匁一分五厘の3種類の量目が鋳造された地方貨幣になります。買取価格は九匁二分が50,000円前後になります。鉱山のある秋田藩で作られ、貨幣不足の補助として使用されました。

【庄内一分銀(天保一分銀)】の買取価格と相場
庄内一分銀(天保一分銀) <鋳造年>1868年(慶應4年)
<重さ>8.66g
<銀含有率>99.1%
天保一分銀に「庄」の字極印を打ち込んだものを庄内一分銀といいます。買取価格は8,000円程度、「跳分長柱」という種類なら10倍程度の価格になります。鋳造は庄内藩と酒田藩だけで行われ、しかも1ヶ月だけの鋳造だったので希少価値が上がっています。

【明治一分銀】の買取価格と相場
明治一分銀 <鋳造年>1868年~1869年(明治元年~明治2年)
<重さ>8.66g
<銀含有率>80.66%
最後の一分銀になります。普通品以外に跳分、明治手など6種類もあり価値に差があります。買取価格は15,000円前後、跳分・跳銀なら40,000円前後になります。刻印のわずかな違いで異なってくるので、精密な鑑定が必要になります。

【明治一朱銀】の買取価格と相場
明治一朱銀 <鋳造年>1868年(明治元年)
<重さ>1.87g
<銀含有率>87.91%
貨幣司一朱銀、川常一朱銀とも呼ばれる一朱銀です。買取価格は1,000円前後になります。銀品位の低さから2年間の短い鋳造期間だったにもかかわらず洋銀レベルの評価となっています。書体は数種類ありますが買取価格に大きな差はありません。