宝永小判
レア度☆☆☆☆☆
買取価格非常に高い
素材金83.40%
発行年度1710年

宝永(ほうえい)小判は、1710年から約3年間に渡って製造された小判です。

宝永小判の前に造られていた元禄小判は、自然災害や経済政策で起きた金不足によって、金と銀を約半分ずつ入れて製造されていました。

しかし、金の量が少なくなったために、小判自体も耐久性がなくなり、このままではいけないと、対策を練ることになります。

主な問題点である金不足を補うため、宝永小判は他の小判に比べて、一回り小さめな作りになっています。大きさを抑えることで、小判一つに使える金の量を増やし、頑丈にしたのですね。

宝永小判に含まれる金の量は、全体の約8割。これは、江戸時代初期に造られた慶長小判と同等の値を誇ります。しかし、純度の高い金の量は小型であるため慶長小判に比べて少しの量しか使われていません。

そもそも金が不足する事態に陥ったのは、相次ぐ自然災害によるものでした。

マグニチュード7を超える元禄地震が1703年に起こったのですが、そのわずか4年後には、さらに大きな宝永地震が起こります。

加えて同年の1704年には、富士山の噴火が起こり、立て続く被害の復旧のため、幕府は膨大なお金を費やすことになります。

自然の驚異はいつ襲ってくるか分からないため、予想が付きにくかったことは、ある程度は仕方がなかったかもしれません。

しかし金不足は、自然災害だけが原因ではありませんでした。新しい将軍になるにつれ、一つの行事にかかるお金が次第に増えていき、それを補うために、幕府は抱えていた金を全て使い果たしてしまったようです。

小さな造りになったものの、現代においてその価値は非常に高く、買取金額は60万円~100万円になります。

美品のものであれば100万円を超えると見込んでおいても良いでしょう。

『宝永小判』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,プロの古銭鑑定士に査定してもらう

金の塊である小判は非常に高価で希少価値が高いです。

普通の中古買取店が扱えるような古銭ではなく、もし査定に出すと大損する可能性があります。

プロの古銭鑑定士に査定してもらうのが一番です。

2,高く売るなら2社以上で査定

査定額は古銭鑑定士のいる買取業者によっても金額差があります。

特に小判のような非常に高額な古銭だと、数万円~数十万円の差がつくことはよくあります。

そのため2社以上で査定をして高い業者に売るのがおすすめです。

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