甲州一分金
レア度☆☆☆☆
買取価格非常に高い
素材金(品位不明)
発行年度1721~1724年

甲斐国(甲州)では室町時代から金貨が鋳造されていました。

甲州金のルーツは判明していません、甲斐国志という書物によるところ、戦国期に甲府市を中心としたて用いられた金貨だそうです。史料の所見は永正3年(1506年)になります。

戦国期では、黒川金山や湯之奥金山といった金山が在り、発掘された金を用いて製造されていました。金貨の主な用途は、交換や支払い手段、寺社への寄付、軍事資金などです。

戦国時代は江戸時代のような通貨単位はないため、重さを測って価値を決める秤量貨幣で取引されていました。

武田信玄が統治した頃の甲斐国では大小切税法、甲州升、甲州金の甲州三法という独自の経済制度があり、この制度は明治初期まで運用されることになります。

武田氏が滅亡してからは、甲斐国は徳川家、豊臣家、そして江戸幕府が統治することになります。

江戸時代になり貨幣の統一制度が整えられてからも甲斐の領民から要望があり、幕府は甲州金を認めることになります。

江戸時代初期は大久保長安と呼ばれる人物が金座と金山の統治を任され、松木五郎兵衛が金座役人の地位を任されました。このときの甲州一部金には、「松木」という極印が見受けられます。

1608年~1609年にかけては、松木が金貨の製造を独占的に展開し、これまでの甲州金貨が形や金品位がバラバラであったのを統一する改革を行います。

甲州一分金は重さ約3.6グラム、価値は1両の4分の1となります。

享保期に作られた甲州一分金以前の甲州金を「古甲金」、甲州一分金からは「新甲金」という名称で分類されています。

幕府は文政~万延の元号の間で改鋳をくりかえしたのが因果となり、金貨に含まれる金の含有量が少なったので、甲州金の相場は高騰し、市場に出回る量が減りました。

1871年(明治4年)の新貨条例施行に伴い、甲州金は運用停止となります。

甲州一分金の買取価格は50,000円前後になります。

ただ背面の刻印で価値が変わります。「背忠」は7万円前後、「中安」は10万円前後、「下安」は15万円前後になります。

甲州金にはその他に金貨があります。

非常に小さい甲州糸目金は買取価格が数千円、甲州一朱金は50,000円前後となっています。

『甲州一分金』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,経験豊富な買取業者で鑑定してもらう

古金銀は古銭の中でも鑑定が難しい種類になります。1つの種類でも、刻印された書体は数十などに分類され、買取価格も変わってきます。

しかし一般的な中古買取店で査定をすると、価値の高さを判別できない可能性があります。そのため希少価値が高くても、安い買取価格になる可能性があります。

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古金銀は高額買取りになる種類が多いです。そのため買取業者による査定額の差も大きくなります。

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