武蔵墨書小判
レア度☆☆☆☆☆
買取価格お宝級
素材金84.3%
発行年度1595年

1595年(文禄4年)に製造された、武蔵墨書(むさしすみがき)小判になります。

1590年の秀吉による北条征伐後、秀吉は関八州を徳川家康に統治させます。その地で徳川家康は貨幣の流通を重要な課題と認識し、小判の製造に取り掛かります。

文禄5年頃、分銅・判金の製作者である後藤徳乗の弟子庄三郎光次に作らせたと言われ、この武蔵墨書小判は日本で一番初めに造られた小判となるのです。

縦長の形そして小判いっぱいに力強く書かれた文字が、非常に特徴的で美しい小判です。

中央に「壱両」「光次」の文字、そして花押、さらに「武蔵」の文字が墨で書かれています。他にも「京目壱両・駿河」と書かれたタイプもあります。

この墨書きは使用していると薄くなったり消えることがあります。つまり流通貨幣というよりは試作品のような目的もあったと考えられます。

実際に、江戸幕府になってから使われる小判はこれとはまた違うものなのですが、武蔵墨書小判はその小判の基礎とも言える、重要な立ち位置にあります。

それゆえ歴史的価値も非常に高く、買取価格は100万円~300万円と、目を見張る金額になっています。

一番初めに造られた小判、そして新たな政治制度を確立するための小判ならば、さぞ多く造られたのだろうと思いがちですが、実はそれほど多くは造られていませんでした。

さらに、製造されてから400年以上も経っているため、残っているものも少なく、それも小判の価値を高めている理由の一つとも言えますね。

大きい形をしていますので、重さも17.8gと、小判の中でもかなり重いです。小判には約85%もの金が含まれており、見た目も華々としています。

全国で使えるお金の製造を目的としてはいたものの、初期に造られた武蔵墨書小判は、現在で言う関東地方でのみ使われていました。

しかし、小判の製造開始からわずか6年後には、江戸の前の都である京都にまでも貨幣の製造が広まるなど、幕府による政策は着々と進められていたようです。

『武蔵墨書小判』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,プロの古銭鑑定士に査定してもらう

金の塊である小判は非常に高価で希少価値が高いです。

普通の中古買取店が扱えるような古銭ではなく、もし査定に出すと大損する可能性があります。

プロの古銭鑑定士に査定してもらうのが一番です。

2,高く売るなら2社以上で査定

査定額は古銭鑑定士のいる買取業者によっても金額差があります。

特に小判のような非常に高額な古銭だと、数万円~数十万円の差がつくことはよくあります。

そのため2社以上で査定をして高い業者に売るのがおすすめです。

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