慶長小判
レア度☆☆☆☆☆
買取価格非常に高い
素材金86.8%
発行年度1601年

江戸時代が始まった1601年(慶長6年)から、約94年に渡って鋳造され続けた慶長小判です。

江戸時代の始まりと共に造られた小判であり、徳川家康の権力を全国に知らしめる役割も果たしたと言えます。

この時期、家康は慶長小判と慶長一分判金を製造します。命じたのは御金改役の後藤庄三郎光次で、この人物は金座・銀座を任されるようになり、以降鋳造されることになる二分判、一朱判などの金貨には「光次(花押)」の極印が打たれるようになります。

製造場は江戸・京都・駿河などになり、それぞれ極印の違いがありますが、正確には製造場を特定するのは難しいようです。

江戸時代には様々な小判が製造されるようになりますが、財政難をしのぐために幕府が同じ価値としながらも金の含有量を減らして旧小判を回収するという出目が行われたため、江戸後期になるほど小判は小さく、金品位は悪化していきます。

慶長小判のような大型で金品位の高い小判はあまり登場しなかったので、小判の中でも非常に価値が高くなっています。

家康が貨幣制度を導入する際に手本としたのは、甲州金です。甲州金とは、甲斐国つまり現在でいう山梨県で使われていたお金で、甲斐国を治めていた人物こそ、あの武田信玄です。

家康は信玄をとても尊敬していたため、制度も真似したのでしょう。もちろん尊敬の念だけではなく、甲州金自体の制度面も、きちんと評価された上での採用だったと思います。

甲州金が画期的だったのは、なんと言っても額面の決め方です。それまでのお金は、重さによってその価値が決められていたのですが、甲州金はお金を、両や分という単位で決めていました。

現代人の私達にとっては当たり前のことですが、当時の人には斬新なアイデアだったのです。

慶長小判の買取価格は80万円~130万円になります。ただ極美品であれば180万円や初期の「古鋳」なら数倍になります。

『慶長小判』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,プロの古銭鑑定士に査定してもらう

金の塊である小判は非常に高価で希少価値が高いです。

普通の中古買取店が扱えるような古銭ではなく、もし査定に出すと大損する可能性があります。

プロの古銭鑑定士に査定してもらうのが一番です。

2,高く売るなら2社以上で査定

査定額は古銭鑑定士のいる買取業者によっても金額差があります。

特に小判のような非常に高額な古銭だと、数万円~数十万円の差がつくことはよくあります。

そのため2社以上で査定をして高い業者に売るのがおすすめです。

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