慶長一分判金
レア度☆☆☆☆☆
買取価格非常に高い
素材金86.8%
発行年度1601年~1695年

徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利した翌1601年、江戸で大判・小判・一分判金の3種の流通向け金貨を発行します。

この金貨は一分判金として最初に作られたのが慶長一分判金になります。1601年から1695年に鋳造されました。

この貨幣の鋳造は徳川家康の権力を象徴しており、彼の政治実績として見ても重要な役割を果たしていました。

貨幣としての当時の価値は1分の価値で、これは1両の4分の1にあたります。当時の1両が現在でおよそ10万円の価値があったので、この古銭は現代で言えば2万円程度の貨幣だったことになります。

量目はおよそ4.4グラムであり、大きさはだいたい1.6cm×1.0cm程度になっています。

金品位は金が85%、15%が銀と、江戸時代を通して考えても金の含有率が非常に高いです。

この貨幣は江戸時代に流通した物の中でも鋳造されていた期間が長かった関係上、折れたり、摩耗するなどして質の落ちたものが出てしまうこともありました。

こうしたものは本直しと呼ばれる修理作業を行う事で再度流通することになりました。

鋳造されていた地域も様々で、江戸や駿河、佐渡など様々な金座で作られていました。

この古銭の価値は5万円から50万円を超えるものまでさまざまで、鋳造された地域、本直しの印「本」が片方にあるか両方にあるかによって大きく変わります。

買取価格は50,000円~500,000円になります。

「江戸座」は10万円~、「京座」「駒河座」は15万円~、
「古鋳前期」「片本」は20万円~、「両本」は50万円などになっています。

両端ともに本直しをした印がある場合が最も高く、地域別でみると駿河や京都で作られたものが江戸で作られたものに比べて相場が高くなっています。

また表と裏で上下向きが反対になっている逆打ちタイプだと倍程度に価値が上がります。

江戸期の初期に鋳造されているため、形状が整っているかも価格に影響してきます。

『慶長一分判金』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,経験豊富な買取業者で鑑定してもらう

古金銀は古銭の中でも鑑定が難しい種類になります。1つの種類でも、刻印された書体は数十などに分類され、買取価格も変わってきます。

しかし一般的な中古買取店で査定をすると、価値の高さを判別できない可能性があります。そのため希少価値が高くても、安い買取価格になる可能性があります。

古金銀は経験豊富な古銭買取業者に依頼するのがおすすめです。

2,高く売るなら2社以上で査定

古金銀は高額買取りになる種類が多いです。そのため買取業者による査定額の差も大きくなります。

1枚で数千円の差や、枚数が多ければ2倍の価格差が出ることもあります。

そのため高く売るなら2社以上で査定をするのがおすすめです。

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