レア度 | ☆☆☆☆ |
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買取価格 | 非常に高い |
素材 | 金56.77% |
発行年度 | 1859年 |
1859年に鋳造が開始された安政小判。安政小判が造られる直接的な原因となったのは、皆さんもお馴染みの「黒船」が日本にやってきたことでした。
アメリカの外交官ハリスは、これから上手く日本との貿易を行っていくため、まず両替をする際の基準を定めようとします。
日本は金を基準に定めようとしましたが、アメリカはこれに反対。今や世界では金ではなく銀が主流になっていると銀を基準にしようとしました。
そしてアメリカは貨幣に含まれる銀の「量」で価値を決める「同種同量」の条項を強制してきます。
当時の日本は、金1両=一分銀4枚という交換相場でした。そして日本の金銀比価は1:13程度となっていて海外の1:15と似た比率であり、一分銀に正しい銀の含有量があれば大きな問題は起きないはずでした。
しかし幕府は財政難により一分銀には本来の1/3程度の銀しか含めていなかったため(金銀比価は1:5程度になっていたが、お上の威光で銀貨に本来の価値があることにしていた)、ハリスはそれを利用し、洋銀1枚の銀量と同等の銀貨の交換を要求します。力の弱い日本は受け入れるしかありません。
その結果、洋銀4枚(銀量92.4g)の場合、天保一分銀12枚(銀量102.76g)と交換できることになり、そして交換相場から天保一分銀12枚は天保小判3両と交換ができました。
小判3両があれば海外では洋銀12枚と交換できるため、この方法を使えば洋銀4枚を最終的に12枚に増やすことができるのです。
洋商たちは大量に洋銀を国内へ持ち込んで次々に天保小判へ交換、その天保小判を海外へ持ち出して洋銀に交換していきました。
その結果、日本の金は大量に海外へ流出することとなり、研究によればわずか一ヶ月半で10万両が消えてしまったそうです。
そこで焦りを覚えた幕府が苦肉の策で思いついたのが安政小判だったのです。
一つ前に造られた天保小判と同じくらいの金含有率を保ちながら、天保小判よりも小さい形に仕上げます。これにより交換する金の量を事実上減らすことができました。
さらに、銀貨に含まれる銀の量を、アメリカ銀貨に対し3分の1ではなく半分まで引き上げようとしました。
しかしこれがハリスに知られると、たちまちアメリカは大激怒。今すぐ鋳造を止めるようにと押し切られ、安政小判はわずか3ヵ月しか世に出回りませんでした。
ですが、それが逆に現在での安政小判の希少価値を高め、買取価格は40万円~50万円と高額になっています。
『安政小判』を損せず高額買取してもらう方法とは?
1,プロの古銭鑑定士に査定してもらう
金の塊である小判は非常に高価で希少価値が高いです。
普通の中古買取店が扱えるような古銭ではなく、もし査定に出すと大損する可能性があります。
プロの古銭鑑定士に査定してもらうのが一番です。
2,高く売るなら2社以上で査定
査定額は古銭鑑定士のいる買取業者によっても金額差があります。
特に小判のような非常に高額な古銭だと、数万円~数十万円の差がつくことはよくあります。
そのため2社以上で査定をして高い業者に売るのがおすすめです。
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