レア度 | ☆☆☆☆☆ |
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買取価格 | 非常に高い |
素材 | 銀84.5% |
発行年度 | 1859年 |
この古銭は江戸時代末期である開国直後の1859年から貿易決済のために発行された銀貨です。
貿易決済用であったことから、またの名を貿易二朱といいます。
形は長方形であり、一つの面には「二朱銀」と書かれ、もう一つの面には「銀座常是」と書かれています。量目は約13.5gで、銀の含有量は85%です。
1853年に東インド艦隊司令長官のペリーが浦賀に来航しました。ペリーは江戸幕府に対して大統領の親書を携え、通商を求めました。これに対して江戸幕府は1年間の猶予を求めました。
翌1854年にペリーは再び来航し、日米和親条約が締結されました。これによって下田港と函館港を開港し、アメリカと貿易が始まるようになりました。
1858年には日米間での修好通商条約が締結されました。これによって神戸、長崎、横浜、新潟の港も開港されました。同様の条約が欧州4カ国との間でも締結されました。
アメリカとの条約には欧州4カ国のいずれかとトラブルがあった場合にはアメリカが仲介する旨が規定されました。
貿易において、生糸や茶などを輸出に回したために国内での供給が減少したこと、また長州藩と幕府の間などで戦争が起こったので軍需品に対する需要が高まり、ハイパーインフレが起きてしまいました。
天保一分銀が流通していた当時、日本では金が銀に対して割安であったので、外国人が日本で銀を使い金を安く買って、自国でその金を銀に交換して儲けるということが続出しました。
そのために日本から外国に金が多量に流れ出てしまいました。
そこで登場したのが量目当たりの銀の含有量を少なくした安政二朱銀です。その2枚(1朱×2=2朱=1分)が洋銀1枚と等価になるように流通させられました。
ところが貿易相手の国々から「これでは日本で洋銀の価値が下がってしまい条約違反だ」という苦情が出たために、幕府はこの貨幣を発行することを停止してしまいました。
結局この貨幣は22日間しか通用しませんでした。
それとほぼ時を同じくして同じ価値の金貨の金の含有量を3分の1にしたので、金の海外への流出は収束しました。しかしそれでもハイパーインフレは続きました。
この安政二朱銀の買取価格は数万円~150,000円となっています。
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1,経験豊富な買取業者で鑑定してもらう
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