レア度☆☆☆☆
買取価格高い
素材金56.77%
発行年度1837年

1837年から使用されるようになった、天保小判。同年に悪天候による飢饉が起こったのですが、飢饉に対処するために、幕府は多大なお金を使いました。

結果お金が足りなくなり、それを補う目的で造られたのが天保小判です。

表向きには、品質が下がっていた小判をまた新しく良いものに作り変えるという口実だったのですが、実際には金と銀が約半分ずつの割合で鋳造されていました。しかしここで、小判の質を上げるための工夫がなされます。

それが、機械を使っての鋳造でした。それまで小判を造るには、一から手作業で行なっていたため、完璧に綺麗な小判を造るのは困難でした。

しかし金を延ばす作業を手作業ではなくローラーに変えたことで、一気に小判の見た目も変化。凹凸もなくなり、より綺麗で美しい小判を鋳造することに成功したのです。

今まで小判の質を上げるには、小判に含まれる金の量を増やさなければならないと考えられてきました。

そうは言っても、現実には日本で採れる金も減少してきており、初期に造られた慶長小判のような良い小判を鋳造するのは、ほぼ無理と言っても過言ではありません。

そんな中出てきた機械を使っての作業工程は、まさに革命的な出来事でありました。しかし見た目が良くなったからと言って、経済も上手く回り始めるとは限りません。

天保小判が使われ始めると、元は足りなくなったお金を補う目的で大量に造られたものですので、その分物価も上昇。

このままだと飢饉も酷くなる一方だし、どうにかしてこの現実から抜け出さなければなりませんでした。

その当時、江戸の経済を将軍の後ろで回していた水野忠邦は、天保小判の二つ前に造られた元文小判と同等の品質まで、小判の質を戻そうと計画します。

しかしそれをあまりにも急ぎ過ぎたため、世の中の反発も大きく、上手くいかなかったそうです。

またこの天保小判は、幕末に外交官ハリスとの取り決めによって、洋商人たちに大量の洋銀をこの天保小判に交換されてしまい、日本の金が海外へ大量流出することになった金貨でもあります。

天保小判の買取価格は8万円~15万円になります。

ただ製造場である金座が年賀の祝儀として江戸幕府に献上するために鋳造された、献上判であれば大変価値が高く70万円などになります。

献上判は丁寧に作られているためゴザ目がきめ細やかでとても美しい小判になっています。一般流通用とは見た目も枚数も異なるため価値が高いのです。

『天保小判』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,プロの古銭鑑定士に査定してもらう

金の塊である小判は非常に高価で希少価値が高いです。

普通の中古買取店が扱えるような古銭ではなく、もし査定に出すと大損する可能性があります。

プロの古銭鑑定士に査定してもらうのが一番です。

2,高く売るなら2社以上で査定

査定額は古銭鑑定士のいる買取業者によっても金額差があります。

特に小判のような非常に高額な古銭だと、数万円~数十万円の差がつくことはよくあります。

そのため2社以上で査定をして高い業者に売るのがおすすめです。

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