嘉永一朱銀
レア度
買取価格普通~少し高い
素材銀98.71%
発行年度1853年

「嘉永一朱銀」は1853年から鋳造されていた古銭です。流通し始めたのは1854年であり、この当時お台場に砲台が作られていたことから「お台場銀」と呼ばれることもあります。

お台場の砲台を作る工事が当時行われており、建築に携わった人々の1日の給料がちょうど1朱に相当していました。

文政南鐐一朱銀では量目が2.62グラムあったものがさらに減らされており、この貨幣の量目は1.87グラムでした。

江戸時代末期は改鋳を繰り返すなかで毎回量目が下がっており、幕府の財政の苦しさを見て取ることができます。

嘉永一朱銀が発行された当時はちょうどペリーが来航した前後の時代でした。彼は神奈川県の浦賀に来航し、開国の交渉を行いました。

当時の日本は鎖国状況のもとにあり、海外とのやり取りは全て長崎県にあった出島で行われていました。アメリカの航海技術をもってすれば長崎の出島に向かってそこで交渉することも可能でしたが彼はあえて長崎ではなく神奈川に来航しました。

その理由は長崎に行ってしまうとオランダの妨害にあってしまうと考えたためです。オランダは中国とともに日本との貿易権を独占していたため、アメリカの新規参入を危惧していました。

「嘉永一朱銀」には1枚につきおよそ1,000円から2,000円の買取金額がついています。

さまざまな書体によって全部で35種類に分けることができ、それによって少しずつ買取金額も変動します。素人目にそれらを見分けることは出来ないので専門の業者を通すようにするのがおすすめです。

書かれている文字の合計3か所が「ハネ」ているものは「三ツ跳」と呼ばれており、買取金額が高めに設定されています。

江戸時代末期に発行された一朱銀は財政状況の苦しさからか総じて銀の含有量が少ないため買取金額が低めに設定されています。

『嘉永一朱銀』を損せず高額買取してもらう方法とは?

1,経験豊富な買取業者で鑑定してもらう

古金銀は古銭の中でも鑑定が難しい種類になります。1つの種類でも、刻印された書体は数十などに分類され、買取価格も変わってきます。

しかし一般的な中古買取店で査定をすると、価値の高さを判別できない可能性があります。そのため希少価値が高くても、安い買取価格になる可能性があります。

古金銀は経験豊富な古銭買取業者に依頼するのがおすすめです。

2,高く売るなら2社以上で査定

古金銀は高額買取りになる種類が多いです。そのため買取業者による査定額の差も大きくなります。

1枚で数千円の差や、枚数が多ければ2倍の価格差が出ることもあります。

そのため高く売るなら2社以上で査定をするのがおすすめです。

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